晒し台があった時代 ②
過去記事
きっかけ
あの場所に晒し台がある事については以前より認知はしていた
むしろ認知していたからこそ行くのを躊躇っていた、と言えるかもしれない
何を躊躇う事があるのか?
やっぱりそりゃあ
包み隠さず言ってしまえば
恥ずかしい
ダンエボというのはただでさえ目立つゲームである
それに加えて大阪指折りの繁華街、千日前にあるラウンドワンである
平日は閑散としている宝ラで踊るのとは訳が違うのである
あの場で踊る度胸なんて無いなあとか
面倒な連中に絡まれたらどうしよう*1とか、
またもう一つ、個人的に不安だったのが
常連組の存在である
YouTubeやTwitterにアップされている動画を見る限り、
どうやら千ラにも常連のプレーヤーがいるようだった
千ラ晒し台の歴史は長い*2
そんなコミュニティに新参者がズケズケと入ってきても良いものなのか?
・・・・・・色々考えている内に季節はすっかり2016年の12月になってしまった
同年の8月末でオンラインサービスは終了してしまい
それに伴い多くの楽曲が削除され
ダンエボというゲーム自体がフェードアウトしていくのは目に見えて分かる有様だった
多くのゲーセンでも撤去の情報がチラホラと聞こえ始める中、
千ラの晒し台はどうも撤去がされない様子だった
ならば、一度くらいは記念にプレーしておかなければ・・・・・・!
些細な事で1年近く迷っていたのにも関わらず、
度胸は一瞬にして固まった訳である
いざ、千ラへ
あれは日曜日の昼下がりだった
黒門市場や道頓堀への道中と思われる外国人観光客が賑やかに往来する
いつもの千日前通りであった
その日も晒し台は元気に稼働していた
既に何人かのプレーヤーがそこそこの待機列を成している
幸い、常連組が馴合っている様子もなかったので
おそるおそる列へと並んでみたものの
妙な緊張が時間感覚を狂わせる
次から次へとプレーヤーが立ち代わり入れ替わり、
あっという間に自分の番になったところで、
まるで断頭台にでも登る気持ちで筐体の前に足を運び、
丁寧に脱いだジャケットを荷物入れにしまい込み、
100円を入れようとしたところである事に気が付いた
なんと、
晒し台は100円2クレ*3だったのだ
これはマズいぞ、今自信を持って踊れる曲は3曲しかない
つまり4曲目は同じ曲を2回も踊るという
晒し台で情けない体たらくを晒す事になる、が
もう自分の順番が来てしまったからには仕方がない
引き返す訳にはいかないので腹を括ってプレー開始
数少ない持ち曲の中で、まずは低難易度の「Sweet Rain」を選曲
左右のステップを踏んでいると、何となく心が落ち着いてくるものだ
それでも曲がサビに近づけば近づくほど
背後に感じる気配が徐々に大きくなるのは
わざわざ目視せずとも雰囲気でなんとなく分かってしまう
「見られている」感覚と、もう後戻りできない状況
それでいて正確に踊らねばならないプレッシャーが
折角落ち着きを得た心に高潮の如く叩きつけてくる
土踏まずが攣りそうな感覚を堪えて何とか踊り切ったその瞬間、
背後から万雷の拍手が鳴り響いた
ふと振り返ると20人ほど?のギャラリーが付いているではないか*4
笑顔で最後までプレーを見てくれた人
曲が終わるや否やスッと立ち去る人
仏頂面の人
十人十色、様々な反応ではあったが何だか変な自信が沸いたような気がして
お次の曲は「Mermaid girl」
この曲は決して簡単ではない*6
実際、緊張相まって振りもイマイチだったように記憶している
それでも一生懸命踊っていればギャラリーは付いてくれるものだった
こんな可愛い曲を必死に踊っている男なんて
そう滅多に見られるものではないからだろうか・・・・・・
こうして私の晒し台体験は思ったより悪くない形で幕を閉じた訳であるが、
緊張から解放されたのを良い事にもう1クレ分を残したまま
そそくさと晒し台から立ち去ろうとしたその瞬間、
次に待っていたプレーヤーの男性が私に声を掛けてきた
「いや~お上手ですねぇ!あっ、1クレ残ってますよ?」
その翌週
私はまたしても
千日前のラウンドワンに来ていたのだった
つづく