長めの文章

2021.2.9 上司の付き合いで飲んだ殆どロックの芋焼酎お湯割りで酩酊状態で帰宅、そのままの勢いでブログを開設するに至る

晒し台があった時代 ③

過去記事

 

晒し台があった時代 ② - 長めの文章

晒し台があった時代 ① - 長めの文章

 

 

前回までのあらすじ

 

撤去されてしまう前に「記念」のつもりで千ラの晒し台へ挑戦した私は

 

思ったほど悪くないギャラリー受けと

他のプレーヤーからの「上手ですね」の一言ですっかり気を良くし、

 

翌週も晒し台でプレーを披露していた

 

あれだけ千ラを躊躇した男が、なぜ「晒し台」の虜になってしまったのか?

 

 

そして、

さらなる高みを目指そうとした私の前に、

 

ある大きな壁が立ちはだかる・・・・・・

 

 

晒し台の魅力とは

 

かくして私の千ラ通いは始まってしまった訳だが、

慣れとは恐ろしいものでプレーを重ねれば重ねるほど

ギャラリーの存在など気にならなくなってくるものである

要は「場慣れ」というヤツである

 

 

それに加えて強く感じるのは、

 

ギャラリーから拍手を貰える事の

 

なんと気持ちの良いことか・・・・・・!

 

 

皆さんは普段の生活で

直接!

沢山の人に囲まれて拍手を貰う

なんて経験をする事があるだろうか

 

そんな経験を定期的に味わっていたのは

自身の会社の製品発表会で自信満々にプレゼンを行った

スティーブ・ジョブズ岩田聡くらいのものだろう

 

しかしここは千ラの晒し台

1曲キッチリと踊れれば

ギャラリーは見てくれるし拍手も貰える

日常生活では中々味わう事の出来ない空間を経験する事が出来る

 

そう、

ここに立てば貴方もジョブズ・・・・・・ではなく、

2クレ分の10分弱だけだが「スター」になれる訳だ

 

普段の自分を忘れて「本来」の自分の世界に浸り

結果、多くのギャラリーを惹き付けられる

 

これこそが晒し台の魅力であり、

私が千ラに入り浸る原動力となったのだ

 

 

そうしていると通い出してから2か月程度で

 

「正確に踊れているか?」

 

は大前提として

 

「どう踊ればギャラリー受けするのか?」

 

という点を意識するようになってきた

武芸で言う所の「守破離」の「破」の段階に入ってきたという事だろうか

更にこれはダンスの上手さに加えて背負うギャラリーの数も一つの指標となりうる

千ラのようなゲーセンならではの考え方なのでもあろうか*1

 

 

とはいえ初めの頃は

 

 

目隠しして踊ってみたりなんかして

 

 

安易な方法でギャラリーを惹こうとしていたのは

この場を借りて反省したい

 

 

晒し台の歴史で言うとこれらの方法も全く無かった訳ではないし

小道具を使うのはダンエボでも比較的ポピュラーな遊び方である

 

しかし、

千ラに来るプレーヤーで

相当のギャラリーを背負える人は

小道具を使っていようが背面プレーをしようが結局、

 

 

ダンスがしっかり身に入っているのだ*2

 

 

また、曲がりなりにも一生懸命練習した曲で正々堂々と踊り

それでギャラリーが付いてくれる事ほど気持ち良いものはない

 

なぜならそれは、

 

 

努力をした

 

 

という決定的な裏付けがあるからである

頑張った結果なのだから、何も後ろめたさを感じる事は無い

もしギャラリー受けが悪かったならば、

「もっと練習しなさい」

という分かりやすい結論に行きつくだけである

 

 

「あくまで振りを忠実に」

を意識してプレーする事を心掛けるようになったのが、

千ラに通い始めて暫く経った2017年の3~4月頃だっただろうか

 

そんな心構えが決まったところで、

ある大きな問題がのしかかってきた

それは、

 

 

 

踊れる曲が圧倒的に少ない

 

 

 

という事だった

 

 

練習練習 また練習

 

第2話でも述べた通り、自信を持って踊れる曲は

3~4月の時点でも僅かに3曲であった

 

大体、ダンエボを始めたそもそものきっかけも

他の音ゲーに飽きた時の気分転換のつもりである

体を動かせればそれで良いので、今更色々覚えようという気にはならなかった

 

 

しかし、

今は千ラに通っているのである

同じ曲ばかり踊っているのも、あまり面白みがない

 

そして何より、常連組にも

「あの人最近よく見るけど、あの曲しか踊れないのかな」

と疑われるかもしれないと思うと余りにも悔しい

 

 

そうであればとにかく、

 

練習するしかあるまい

 

そう考えた私は収録曲リストを改めて確認

 

その結果、難易度の事を考えるのは一旦後回しにて

とにかく自分の好みに合った曲調の振付を先ずは優先的に覚える方針で

振付習得に取り掛かる事に決めた

 

練習場所はもちろん、

 

六畳ワンルーム狭く汚いアパートの一室

 

である

 

窓ガラスにうっすらと映る上半身を頼りに振りを少しずつ覚え、

動きがある程度分かって来たところで

梅ラ*3のダンエボで更に習得に打ち込む

 

時折スマホでプレー動画を撮影して

傍から見てもしっかり踊れているかチェック

 

もちろんスコアもやシークレットリップル*4の獲得も忘れてはいけない

そもそもダンエボは「音ゲー」である

高得点を獲る事も意識せねばならない

 

大体リザルトがC以下*5というのも、

晒し環境でプレーしている以上恥ずかしい話だ

 

ある程度練習を積んだ楽曲の内、

「よし、これはイケるぞ!」

と自信が付いた曲から千ラで披露

 

披露した後も適宜梅ラで踊ってみて振りの再確認

 

これがいつもの練習スタイルであった

 

1曲の振付がモノになるのに1か月は掛かったが、

「あくまで振りを忠実に」する事を念頭に置いていたからには

自分の実力からしてもこのくらい時間を掛ける他は無かったのである

 

 

 

さて、そんな時代に習得した楽曲で思い出深い曲を2曲ほど紹介しよう

 

「Din Don Dan」と「Little Star」である

 

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「Din Don Dan」と言えばBEMANIに親しんだ人ならば最早お馴染みのRyu☆と、

moimoiこと森永真由美の黄金タッグによる名曲だ*6

 

バブルガムダンス特有で私好みの非常にポップでキュートな曲調と

案外サッパリとした振付はダンエボのウォーミングアップにはピッタリであり、

千ラに来たら1曲目は必ずこの曲を選んでいた

 

2人プレーでも非常にお世話になった、思い出の一曲である

 

今でもこの曲を聴くと、あの楽しかった頃の千日前の光景が

ありありと目に浮かんでくるのだ

 

 

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お次に紹介するのはREDALiCE作曲の「Little Star」

 

BEMANIに親しんだ人ならむしろ弐寺*7の楽曲であり、

赤いメイド服を身にまとった梅桐天土*8がこっちに向かって走ってくる印象的なBGA

というイメージが強いかもしれない

 

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この曲もダンエボに「まさか」の収録がされており

流石に走るような振付は無いのだが

サビの、後ろに向いて人差し指を振る独特な振付がクセになる

 

しかし、

この曲の特徴は何と言っても

 

BPM(183)

高体力

 

であろう

 

ダンスゲームにあるまじき速さのテンポに緩急ある振付は

この曲の振付習得難易度を高めている*9

 

私が千ラに通い始めの頃に別のプレーヤーが踊っていたのが非常に印象的であり、

「これが完璧に踊れたらカッコいいな」と

幾分か軽い気持ちで練習に取り掛かったのが運の尽きだった

 

1週間掛かってもAメロまで覚えるのが必死という有り様

サビの後ろを向く振付なんて最初は全くの意味不明

結局、千ラでなんとか踊れるようになるまで3か月以上は掛かってしまった

 

だが苦労したからこそ、思い入れも深さを増すのである

 

完璧に振りが入った状態ならば、

先にも述べた通り周囲への意識も出来るようになる

意味不明だったサビで後ろを向く振りも、ギャラリーへの良いアピールへと転じる

 

しかし、

この曲の本当に恐ろしい所は

 

1番をキッチリと踊り切り、

間奏の振りも軽やかにこなせば、

大サビに入る直前のほんの一瞬の静けさから、

 

「ゾーン」に

入り込めるのだ

 

この状態になりさえすれば、後はとめどなく溢れる脳汁のお陰か

ここまでの疲れも吹き飛んだように面白いほど

 

体が軽い

体が回る

体が伸びる

 

1曲目の「Din Don Dan」とは逆に、

「Little Star」は千ラの締めに必ず踊る曲となった

 

 

最後にこの曲を全力で踊る事で

気力を尽くして、帰路に就く

 

 

これが週末の愉しみとして定着していった頃には、

ダンエボがオンラインサービスを終了してから

そろそろ一年が経過しようとしていた頃だった

 

 

 

 

 

                                つづく

 

 

 

*1:もしかすると、あの時代に千ラでプレーしていたダンエボ勢の中には

「ギャラリーなんて邪魔!そんなの意識した事が無い!」

とお思いの方もいるかもしれないが、

(少々暴論ではあるが)まだタイステ難波・日本橋のダンエボが健在だった時代に

わざわざ晒し台に来るという事は「そういう事」だと解釈してここは話を進めたい

*2:小道具を使うのも、とあるダンエボプレーヤーの圧倒的な存在が諦めのきっかけとなった

その話は後ほど

*3:ラウンドワン梅田店

ロケテストも行われる、千ラと並ぶ大阪の旗艦店である

当時この時点でも梅ラにはダンエボが3台も置かれていた

*4:詳細は割愛するが、早い話が「隠し判定ポイント」である

ダンエボは振付の動きやポーズが一般的な音ゲーで言う所の「ノーツ」になるが、

ある条件下で隠しノーツを解禁する事が出来る

高得点に向けて必要不可欠な作業である

*5:ダンエボのリザルトはAAA~Eまでが存在する

*6:第2話で紹介した「Mermaid girl」も、この二人による曲である

*7:初収録はtricoroである

それにしても、もう9年も前の話になるなんて・・・・・・

*8:弐寺のイメージキャラクター「梅桐三姉妹」の長女

初登場はEMPRESSであり、この時の印象が未だに強いのだが・・・・・・

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*9:それでもLevel4扱いである

「Follow Tomorrow」の方がまだ簡単だと思うのだが・・・・・・