長めの文章

2021.2.9 上司の付き合いで飲んだ殆どロックの芋焼酎お湯割りで酩酊状態で帰宅、そのままの勢いでブログを開設するに至る

ゲーセンの「終わり」

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2016年9月11日、心斎橋GiGOの最期
この5年後に・・・・・・

 

 


2021年9月20日、池袋GiGO閉店。

 

かねてから進行している池袋再開発の勢いは徐々にサンシャイン通りを侵食、老朽化に伴うビルの建替えというやむを得ぬ事情もあり、当店は28年もの歴史に幕を下ろさざるを得なくなったとのことだ。

 

池袋東口に用事がほとんど無かったことから個人的には正直あまり思い入れの無いゲームセンター*1ではあったが、太正浪漫堂がかつてこのGiGOの5階に店舗を構えていた*2ことからサクラ大戦ファンとしては非常に重要な意味を持つ店舗であった。

 

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在りし日の「太正浪漫堂ファンコーナー」

 

池袋GiGOについて、これと言って語る思い出に乏しいのが何とも歯がゆい所だが、GiGOに限らずゲーセンの閉店が全国的に相次いでいるのはとても寂しい。

 

家庭用ゲームがアーケードゲームのクオリティに追い付いてしまったのは既に20年以上も前の話。2010年代に入ってからはスマホゲームの発展により最早インカムでは稼げないアケゲーの立場の弱体化は留まるところを知らず、手っ取り早く「稼げる」プライズゲームお茶を濁す店舗も増えた。しかし、まさか予測だにしなかったコロナ禍による自粛が、ゲーセンの経営に止めを刺してしまった……というのが非常に大雑把な一連の流れだが、この時代であっても「ゲーセンだからこそ」と言える大きな要素の一つが、

 

コミュニティの存在

 

である。

 

2010年代以降のゲーセンしか知らない分際で色々語るのもおこがましい話なのだが、確かに「対人」だからこそ築かれるコミュニティがあり、それはSNSで気軽に繋がれる関係より(良くも悪くも)濃いものがあった。

交流まではいかなくとも、「あの人、いつもこの時間に来てるよなあ」という感覚はゲーセンに通ったことがある方なら誰しも経験があるのではないだろうか。*3

 

私もかつては千ラのダンエボに足繁く通った者だった。そこには千ラのダンエボプレーヤーで築かれるコミュニティが幾つかあり、私もその内の末席にいたのだ。

スコアを詰める人達、振付を極める集団、楽しさ第一主義、時々地方遠征勢・・・・・・コミュニティと一言で言えど、その性格は様々であった。また基本的に馴合うことのない、孤高の常連も存在していた。

 

さて、千ラの1階からダンエボが消えてどうなったのか?

残念ながら常連達はダンエボの消滅と共に散開してしまった。勿論、今でも(私の知らないところで)SNSや他店舗で繋がっている人達はいるだろう。実際、府内の全く別のゲーセンで常連の姿を見かけたことはあるし、とあるゲーセンの閉店日に何人かの「かつての千ラ常連」がその瞬間を見届けに集まったこともある。*4

私としても、今もなおTwitterのFF内で繋がっている常連も僅かながら存在する。その人達とだったら思い出の共有はいつでも出来る。あの場を再現しようと思えば不可能ではない。でも、千ラの「あの場所」に常連達が一堂に会する瞬間は、もう二度と訪れないのだ。

 

ゲーセンの「終わり」とは、コミュニティの「終わり」でもある。

今日もどこかでゲーセンが閉店している。

それと同時に、常連同士がしのぎを削りあった日常が姿を消している。

 

それを想うと、たとえ思い入れの無いゲーセンであっても寂しさの感情が心にふっと浮かぶのである。

 

 

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*1:「池袋のゲーセン」と言えば、個人的には西口のタイステである

*2:太正浪漫堂自体は2008年3月30日に閉店したが、2016年9月30日までは店舗跡の片隅にファンコーナーが設けられていた

*3:それを一言で「コミュニティ」とまとめてしまうのは乱暴な物言いなのだが

*4:そのゲーセンはダンエボ設置店舗だった。そこで新たなコミュニティとして新顔を迎えつつ根付いていたのかもしれない。