晒し台があった時代 ①
はじめに
この記事では
かつてラウンドワン千日前店(以下、千ラ)の1階に晒し設置されていた
DanceEvolution ARCADE(以下、ダンエボ)
というダンスゲームの思い出について書いていきます
「そういう時代があったんだな」
と思っていただければ幸いです
※「ダンエボ」というゲームについては
ダンエボとの出会い
私がこのゲームを始めたのが2015年6月頃だったと記憶しているので
ダンエボの歴史としてはかなり後の時代という事になる*1
当時は専らjubeatに熱中していて
その時に開催されていた連動イベント*2のために
「一応ダンエボもやっておくか」
というのが最初の1クレだったはずである
とはいえ、
最初のプレーは全くもってグダグダだった
当然恥ずかしくなってもう二度とやらないつもりだった
それでも、
好きだった曲*3も収録されていたので
(ダンエボで遊ぶ遊ばないはどちらにしろ)
とりあえず一通りは踊れるようになっておこうと
なんとか振付を習得した
六畳ワンルームの狭く汚いアパートの一室で
窓ガラスにうっすらと映る上半身を頼りに
汗だくになりながら少しずつダンスを覚えていった
そうしているともう一度チャレンジしてみようかという気にもなる
当時通っていた宝ラ*4のダンエボは大体空いていたので
リベンジのつもりで100円を投じる
するとどうだろう、
やっぱり練習というのは物事において非常に大事だなあ
すんなりと踊れたではないか
お世辞にもこの時のスコアは良いものではなかったが*5、
「如何に高いスコアが出せるか」
が絶対的な存在である音ゲーに対して
「踊れること」
が条件であるダンエボに一瞬にして虜になってしまった
それからというもの、
jubeatや他の音ゲーに飽きたら気晴らしにダンエボで汗を流す
ということがゲーセンに来た際の常となった
そんな形でダンエボにハマった私が千ラ晒し台デビューを果たすのは、
それから1年以上も経った2016年12月の事であった
つづく
*1:ダンエボのアーケード稼働が始まったのが2012年の3月27日で
サービス終了が2017年8月31日であるから、
「生き生きしたダンエボ」で遊べたのは僅か2年だけだった
2015年というのはCHALLENGE以外のめぼしいイベントが無くなった頃でもあり、
今後のダンエボに淡い期待を抱く一方、若干の停滞感が漂う時代でもあった、と思う
*3:Sweet Rain、Mermaid Girl、KIMONO♥PRINCESS
*4:元オリックスの戎投手が支配人を務めていた事でお馴染みのラウンドワン宝塚店
2018年5月6日閉店、あの頃足を運んだゲーセンも僅か数年で随分閉店してしまった
*5:Aも出せてなかったはずである